Story of Thinkfree

だからこそ今を生きる(2) October 27,2010

その年の酒は散々だった。
大吟醸は製品にすることができず、普通酒に混ぜることとなる。体制が悪かった。みんな余裕がなく、浮き足立っていて、ばたばたしていた。それでも、日下部氏が引退する事が決まってからは、体制を変えていくしかなかった。

日下部氏の死は、自分自身が学んできたことや、造りへの思いそのものに影響はなかったが、やはり精神的にはかなり落ち込んでいた。けど私は杜氏となることが以前から決まっていたから、立ち止まるわけにはいかなかった。

亀の尾蔵舞は存続の危機を迎えた

しかし、大きな変化は様々な場面で影響を及ぼす。亀の尾を栽培してくださっていた農家さんからある時、来年はもう作らないかもしれない、と連絡が入ったのだ。親父からその連絡を受けた私は、次からの亀の尾蔵舞はどうするのか?誰か作る人はいるのか?と思いを巡らせた。
それと同時に、2008年に仕込んだ亀の尾蔵舞を思い出した。あれのせいか...?と。

2008年12月、完全新体制で望んだ亀の尾蔵舞は、実験的な挑戦を取り入れた酒だった。悪くはない酒だ。しかし、体制が整っていない中で新しいことを取り入れようとした結果、蔵人たちはキャパオーバーを起こした。前年までの亀の尾と比べ、あまりにも酒質がかけ離れていたのだ。

おそらく、酒米・亀の尾を栽培した農家さんは、あの亀の尾を口にし、判断したのだろう。そう思った。血の気が引く思いだった。皮肉にもそれは、翌年2009年の亀の尾蔵舞の仕込みが終わり、充実感に浸っていた頃だった。

地に足をつけていた

2009年の造りは、自分が杜氏として望む初めての造り。旨い酒を造る、そのために勉強を繰り返してきた。前年、散々だった影響で亀の尾蔵舞の存続が危ぶまれている中であったが、少なくともその年の酒造りには全力投球を行った。
私は酒造りの修業時代に、自分のやり方の基礎が出来上がったと感じている。実家の蔵に戻ってからは、学んだ事を活かさないといけないという思いと、学んできたことと現実とのギャップに苦しんだこともあった。力み過ぎ、蔵人との擦り合わせもうまくいかなかった。

しかし2009年の造りは、初めて地に足をつけて造りに望んだ実感があった。徐々に全体を見渡せるようになり、技術も向上し、気持ちの面も安定した。その結果が実を結んだのか、年明け2010年の2月には、全国酒類コンクール純米酒部門にて、亀の尾蔵舞は1位を頂いた。最高の気分を味わったが、同時に来年どうなるのか、まだ分からない酒でもあった。