磨く必要がなかった
私たちの地で生まれた。伝説が息づく場所で技師達に育まれる。
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 丹後風土記に羽衣天女のお話がある。この郷の比治山頂の麻奈井の湖で天女八人が水浴びしていたとき、和奈佐という老夫婦は一つの羽衣を隠した。老夫婦は帰れなかった天女を子にし、そのおかげで家は富む。しかし豊かになると「汝は吾が子ではない」と言い天女を追い出してしまう。天女は慟哭しつつそこを去る..."天の原 降り放け見れば 霞立ち 家路惑ひて 行方知らずも"
 追い出した老夫婦の村はその後荒れ、天女は現在の京丹後市弥栄町の奈具神社に豐宇加能賣命(トヨウケビメ)として祀られることになったという。

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 その奈具神社のそばにある京都府丹後農業研究所で「祝」がその産声を上げたのは昭和8年のことだった。昭和8年〜21年に奨励品種となった祝には、品種改良に携わった技師達のたゆまぬ努力がその背景にある。しかしその後、昭和20年代の食糧難の時代に酒米より食用米へ移行し「祝」は姿を消すこととなった。
 その後、時は平成。京都の醸造家たちが「京都の米で独自の日本酒を」と立ち上がったのである。そこで京都の風土に適した酒米である祝に着目し、醸造家と関係機関のチャレンジが始まった。かくして祝は、京都産の酒造好適米として復活を見たのである。

そして丹後で醸した。地元の米で地元の純米酒を。
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 祝の出身地である弥栄町の酒蔵が祝を用いた酒をつくらないのはおかしいだろう。そう考えた私たちの思いは至極自然だったが、それを実現するのは容易ではなかった。近隣市町村では祝の栽培は行われていたが、当時我が地元京丹後市で祝は栽培されておらず、そもそも種籾を手に入れることそのものが困難であった。
 そこで綾部市の篤農家・河北卓也氏から種籾を譲り受け、当初谷口国夫氏の手によって祝の栽培を開始した。地元である京都府産の祝を使った酒を醸す事に思わぬ壁が立ちはだかったが、人とのつながり、まざりあいによってまた一つ乗り越えたのである。

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 その後祝は藤原薫氏および梅田和男氏、両氏によって栽培を続け、現在では竹野酒造の麹米のほとんどはこれらの祝を使用している。
 純京都府産であり、奨励品種である祝は言うまでもなく品質の良い米。だからこそ磨く必要がないと判断し、祝の純米酒は精米歩合を70%とした。やや軟質米で米の水分調整の難しい米のため、作り手は非常に神経を使う米でもあったが、辛口で膨らみのある味わいは、とにかく頑丈で深い。蔵舞としてまた一つ誕生したのは、亀の尾蔵舞、旭蔵舞に続き、当地方出身の祝・純米酒が選ばれたのである。

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進化する祝蔵舞。2012年祝蔵舞は、従来吟醸酒でのみ行なっていた木綿の袋による自然落下酒、袋吊り酒を搾ることとなる。そして今、じっくりと熟成を待つこととなった。

祝蔵舞

良質で磨く必要がないと判断した祝は精米歩合70%。コシが強く、辛口で頑丈な味わい。飲み会の席、特に農家の飲み会には必携の酒だろう。ちょっと一杯、ではなく、がっつりと飲む席に選んでいただきたい。

品名 祝蔵舞 2016 (いわいくらぶ)
酒米
精米歩合 73%
アルコール度数 19度